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自動車産業「100年に一度」の環境変化


フォード モデルA(アメリカ 1928年 トヨタ博物館蔵)

今回は世界の自動車産業を巻き込みトヨタ自動車が現在の様々な変革を進める前提にもなっている「100年に一度の大変化」について考察します。

様々な場で使われている言葉ではあるが、本当に「100年に一度」の大変化が起きているのだろうか。実際に100年前の自動車産業にも同レベルの変化があったのでしょうか。

もしそうならその時の大変化はどんなもので、今の時代に活かせることはあるのでしょうか。

自動車が生まれた時期は「自動車」の定義にもよりますが、一般にはフランスの「ニコラ-ジョセフ キュニョー(Nicolas-Joseph Cugnot)」が1769年に作った「火のクルマ」(蒸気自動車)[1]が自動車の最初と言わています。

キュニョーの砲車:1771年修復後の2号車 パリ工芸博物館展示(ウィキペディアより)
キュニョーの砲車
1771年修復後の2号車 パリ工芸博物館展示(ウィキペディアより)

では、100年前の自動車業界では今と同じようなレベルの環境変化が起きていたのでしょうか。

およそ100年前の1925年[2]は、1908年に生まれ世界を席巻してきたT型フォード(モデルT)の黄金時代が終わろうとしていた時期にあたります。ベルトコンベアを導入した工場で大量生産されたT型フォードは圧倒的な低価格(発売開始後も生産効率の向上が進み価格は年々下がり続けた)だけでなく悪路の多い当時の道路事情に合わせた性能を持つなど品質も高かったため発売当初から人気を博し、1927年の生産終了までの19年間で1,500万台を超える販売台数を記録しました。T型フォードがそれまで一時的なもの・新しもの好きが買うものと捉えられていたガソリン自動車の地位を確固たるものにしたといえるでしょう。

フォード モデルT
(日本国内製造 1929年 トヨタ博物館)

このT型に席巻された他の自動車メーカーは、対抗のため様々な機能を追加した新タイプの製品を投入した。たとえばGMは毎年ニューモデルを提供している。一方でフォードはT型が「完成した自動車」だとしてほぼ20年間改良しませんでした。

この間、ライバル企業はニューモデルを出しながら新技術を投入・蓄積していった。1912年のキャディラックに搭載された「セル・スターター」[3]はその中でも画期的で、クランクを回さなくても電気モーターでエンジンを始動できるようにするものでした。これにより、女性でも気軽にクルマを使えるようになり、女性ドライバーが急速に増加しました。驚く人もいるかもしれませんが、この技術が開発される以前に女性に人気のあったクルマは、エンジン始動に腕力の不要な(ただし走行開始までにかなり時間のかかる)「蒸気自動車」[4]や走行距離は短かったが始動も運転も楽な「電気自動車」[5]だったのです。

スタンレースチーマーモデルE2
(アメリカ 1909年 トヨタ博物館蔵)
ベイカー エレクトリック
(アメリカ 1902年 トヨタ博物館蔵)

また、道路の整備によって悪路を走るより舗装した道路を走行する能力が求められるようになりました。自動車の走行スピードが上がったことに対応して1922年には制動性能の高い油圧ブレーキがアメリカのデューセンバーグ[6]の「Aモデル」で初めて採用されました。

こうした環境変化から、1925年にはT型フォードは市場からは古い世代のクルマとして認識されていたと思われます。その証拠にT型の生産は1923年にピークを迎えた後は下降を続け、そして1927年に新社長の下で開発された後継の「モデルA」の販売開始とともにその生産を終えています。これと同時にGMが自動車販売首位の座に立ったのです。

T型はそれまで特殊なものとして見られていたガソリン自動車というカテゴリを一挙に日常生活で必要なものに変えたという点においてイノベーションそのものだったといえます。一方でクルマが当たり前のものとなるにあたり、求められることが刻々と変わっていることに気づくことができませんでした。フォードは効率化・低価格化の推進にとらわれて市場の声を聞くことを忘れ、GMに販売1位の座を奪われたのです。

「100年に一度」という言葉がT型フォードやフォード・モーターが経験した変化のことを指しているのかどうか定かではありませんが、100年前の自動車業界では確かに大きな環境変化が発生していました。ただ、この変化はT型フォードの生産開始年の1908年から生産終了年である1927年の20年弱における長期のものであったことに注目すべきでしょう。当のフォードですら気づかない形で少しずつ環境は変化し、気づいた時には手遅れになっている状態まで進行したのです。

多くの人が当たり前だと思っていたことが時代の変化とともに「古いもの」になり、過去の成功に固執していると今までの環境から全く違う状況に突き落とされるという意味では今の状況に似ています。ガソリン車やハイブリッド車に依存して「これで良い」と思っていたらダメになるかもれませんし、「クルマはハードウェアである」「クルマは移動手段である」という思い込みも危険でしょう。「クルマは買って所有するものだ」「クルマはその持ち主のためだけにある」という前提も危険です。ただ、このような発想の転換は自動車業界以外でも発生していますし、自動車業界のみが「100年に一度」の環境変化にさらされるわけではありません。もしかすると、そういう思い込みも危険なのかもしれません。


[1] スピードは人が歩くか走る程度であったようだが走行舵が不完全だったため試験走行で壁に激突した。これが世界初の自動車事故だとされている。

[2] 国内では同年11月に豊田紡織株式会社において「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」1号機が完成。

[3] セル・スターターという言葉は英語の「self-starter」から派生したと言われる。

[4] ここでは詳述していないが蒸気自動車には「火の車」以降、百数十年の進化の歴史がある。当時の蒸気自動車はそれまで課題だった爆発事故も防止ができており、運転が楽で音も静か、トルクもありスピードも出たが、蒸気の圧力が高まるのを待つのに15分かかるなどした。また、整備も手間がかかった。蒸気自動車の代表的メーカーとしては「スタンレー」が挙げられる。同社はT型フォードが登場してからも蒸気自動車を作り続け、1924年に解散した。

[5] 特に国土の広いアメリカでは女性用のクルマとして電気自動車には一定のニーズがあった。1898年に設立されたベイカーエレクトリック(Baker Motor Vehicle Company)が1900年頃発売した電気自動車は時速40kmのスピードで80km走行することが可能だった。

[6] デューセンバーグ(Duesenberg)は、1910年代から1937年にかけて存在したアメリカの高級車メーカー。


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